毎年、夏至の時期が近づくと決まって話題となるのが、中国での「犬肉祭り」です。今年も既に動物愛護団体の方々が、盛り上がっているようです。
犬を食べるのは、別に中国だけでなく、韓国やベトナムでは昔から日常的に食べられている食材らしいです。特に韓国などは食肉用として、犬が飼育されているほどです。
毎年この犬肉祭りの話題が出るたびに、愛護団体の「偽善」というか、自己満足なだけでは、との思いがマスマス強くなります。
動物愛護団体の方々は決まって、犬は人間のパートナー、ペットとして飼われているものであって、食べるのは残酷だと仰るのですが、この反対している人たちは、牛やブタなど、動物の肉はいっさい食べていないのでしょうか?
きっと食べていると思いますが、自分たちが食べたい動物は、無慈悲に殺して食べるくせに、なぜ犬を食べたらダメなのか、意味不明です。
もっと言うなら、植物も動かないだけで、生きていることには変わりがなく、植物ならなぜ食べてもOKなのか。
この犬肉祭りへの批判は、色々と自己矛盾をたくさん抱えているのでは、と思います。
しかも、犬食に反対している自分の国では、何の罪もない犬たちが毎年、大量に殺処分されています。他国を批判するより先に、自分の国が殺しているたくさんの命を救ってあげた方がよいのではないでしょうか。
他の国が自国の食文化として、どんな動物を食べようが、その国の勝手だと思います。国それぞれによって、その成り立ちも違えば、環境や風習も大きく違います。
なぜ、動物愛護団体の人たちは、自分のしていることはさておき、他人を批判しようなどと思うのか、とても不思議でなりません。
自分の考えていることがすべて正しく、価値観の合わない他人は激しく批難する、欧米人(最近は日本でも)によくある考え方ですが、そんな考えがどれほど危険なことか、なぜ誰も何も思わないのでしょうか。
集団心理とは、とても恐ろしく、とても危険なものだと感じます。
私たち人間は他の動物や植物を食べることによって、生きています。それはとても罪深いことだと思うのですが、普段の生活ではあまり意識しない人がとてもたくさんいます。
その証拠に嫌いなものが食卓に並ぶと、平気で残す人がどんなにたくさんいることか。
普段、何げなく使っている日本語の「いただきます」ですが、実はとても奥が深い言葉なのを、ご存じでしょうか。
「いただきます」とは、日本人の価値観として、すべての食材への感謝の念を表しているのです。魚や肉はもちろん、お米や野菜などすべての食材に対して感謝し、「私の命にさせていただきます」という意味の言葉なのです。
それなのに、その食べ物を残すなんて。。。
他人の国の食習慣を批判している暇があれば、命の大切さについてキチンと認識し、自分たちが普段どれだけたくさんの動物の命を奪っているのか、一度考えてみるべきです。
まとめ
くれぐれも誤解がないように言っておきますが、私も当然、犬を食べることには大反対です。
愛犬家として、犬たちがとても可哀そうだと思うのは当然です。
と、ここまで書いておいてなんですが、実は去年も同じようなことを書いていました。
《参考記事》 中国、玉林の「犬肉祭り」は考えさせられることがいっぱい
やっぱり、この話題は個人的に気になるテーマのようです。