中国、玉林の「犬肉祭り」は考えさせられることがいっぱい

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お肉ネットでは、毎年の夏至の日、中国の玉林市で開催される「犬肉祭り」が話題となっておりました。

個人的には、去年もかなり揉めていたのはニュースで知っていたのですが、また、中国人がなんかしていると、あまり気にもしていませんでした。

今年は、去年以上に愛護団体の救済活動が盛り上がったようで、あちこちのネットでこの話題を見かけました。

「犬肉祭り」とは、中国の玉林市で毎年夏至の日に滋養強壮のために犬肉とライチを食べるお祭りです。日本でいえば、土用の丑の日にうなぎを食べるのと同じです。元々はそのあたりの山村で犬肉の習慣があったのですが、最近になって大々的に祭りとして盛り上げようとしたことで、逆にその残虐な行為が話題となりました。動物愛護団体から批判が集中、反対デモまで起きたことで毎年ニュースになっています。祭りの2日間で1万頭の犬が食肉として処理されるそうです。

犬食文化は悪なのか

犬が丸焼きにされ、屋台に並んでいる写真がインターネットに出回っており、それを見るとかなり衝撃的です。

日本では犬も家族の一員だと考える人も多くいるなか、この写真はかなりインパクトがありました。世界中の動物愛護団体から批判されるのも分かります。

ただ、理性的になってよく考えてみると、犬を食べてはいけないというは、現代の日本や欧米の価値観であって、昔から犬肉を食べてきた中国人やアジアの人たちにその価値観を押しつけても意味がないです。

日本でも古くは縄文時代の貝塚から犬食文化の名残りが見つかっており、昔は犬を食べる食習慣があったと言われています。自分たちが犬を食べなくなったからといって、他人にその価値観を押し付けるのは如何かと思います。

特に日本の場合、捕鯨やイルカ漁について欧米から批判されているのですが、犬食問題と根本は同じことに思えます。

玉林「犬肉祭り」の問題点

玉林の場合、単に犬食の問題だけでなく、他にも多くの問題点があるようです。

ペットの盗難が横行

犬肉祭りは年一回の祭りであり、この日だけ大量に犬肉を消費します。

このため、食肉用として生産した犬だけを食べているのではなく、中にはペットとして飼われている犬を盗んで売りさばいているものもあると言われています。そのような行為は犬を飼っているものとして、とても許せるものではありません。

残虐な行為

屋台では犬肉であることを証明するために生きている犬をその場で殺してみせて、そのまま丸焼きにするそうです。

そのため、この日はあちこちで犬の悲鳴が響き渡るそうです。

とても残虐な行為であり、私たち日本人からすると考えるだけでいやな気分になります。

ただ、殺される犬からすれば、穏やかに殺されようが、叩き殺されようが、どちらも殺されることに変わりはありません。残虐な行為かどうかは、単に人間のえごでもあります。

とても不衛生

犬食用として飼育されている犬は劣悪な環境で飼育されているものが多く、とても不衛生なのだそうです。犬食は滋養強壮のためと言われていますが、衛生面からとても勧められたものではないです。

地元からの反発の声

海外からの厳しい批判に対して、地元からは反発の声が多く上がっているそうです。

  • ウシ、ブタ、ヒツジ、鳥、魚は食べてよいのに、犬はなぜ食べてはいけない?
  • 闘牛の方が残酷だ
  • クリスマスに食べる七面鳥の丸焼きは残虐ではないのか?
  • 犬肉と牛肉、鶏肉に違いがあるのか。どれも同じ肉。

確かに地元からすれば、昔からの食習慣について関係ない人からとやかく言われたくはないでしょう。それも理屈が通っていない感情論では余計反発もされそうです。

肉食する意味をもう一度考えてみる

犬食とは全く関係ないのですが、この件をネットで調べているときに、物凄い記事を見つけました。

ウサギを殺して食べる

デンマークのラジオ局での生放送らしいです。

《参考記事》 生番組でウサギを殺し「偽善暴いた」 デンマークのラジオ局

内容としては、ラジオの生放送でうさぎを叩き殺して、子どもたちと一緒に食べてしまうという企画を生放送したと言うものです。

個人的にはとても面白い企画だと思うのですが、当然のごとく批判が殺到したらしいです。

実際に欧米ではうさぎ肉はよく食べるらしいのですが、今の現代人はどのようにその肉が加工されているのか、あまり深く考えている人はいないのでしょう。

ニワトリを絞める

昔、テレビ番組で見たことがあるのですが、子供たちのサバイバル番組で、食糧としてニワトリを絞めて食べるという企画ものを見たことがあります。

もちろん、子どもたちがそう簡単に絞め殺せる訳もなく、葛藤する姿がとても印象的でした。

これがもし、ニワトリではなく、うさぎだったら、デンマークと同じく動物愛護団体から抗議が殺到したことでしょう。別にどちらでも同じ生き物なのですが。。。

昔は、農家などでニワトリを飼っており、日常的に絞めてお肉として食べていたのですが、今はそんなことをした経験がある人はほとんどいないでしょう。

 

この番組を見て思ったのですが、学校で子供たちに命の大切さを教えるのであれば、ニワトリの絞め方の授業をやったらよいのではないでしょうか。

偽善的に命の大切さを教える授業より、100倍ためになるのではないでしょうか。

最近はスーパーで切り身の肉しか見かけないので、私たち都会に住む人々はそれが生き物であることを忘れがちです。自分でニワトリを絞めることで、普段食べているお肉が何のか、私たち人間がどれだけ罪深いことをして生きているのか、考える良いきっかけになることでしょう。

まとめ

個人的には、動物愛護団体と聞くと、すぐに身構えてしまうぐらい、かなり批判な立場です。

もちろん、動物たちのことを真剣に考えて、運動している人たちがほとんどなのだと思いますが、中には過激な人も多く、その運動も偽善的に見えることが多いからです。

とくに、欧米の愛護団体というと胡散臭さが倍増します。

 

私たち人間は、他の動物を食べないと生きてはいけない動物です。

特に牛、ぶた、ニワトリ、羊などの家畜は、食べるために育てられ、丸々と太ったところを殺されてしまいます。玉林市の地元からの反発にもあるように、「牛は殺して食べてもよくて、犬はなぜダメなのか」は、確かに矛盾しています。

犬は賢くて人間のパートナーだから殺されるのは可哀そう、と動物愛護の人たちは言うのですが、頭が悪ければ殺して食べてもよいのか、と単純に思ってしまいます。

インド人からすれば、神の使いである牛を食べる欧米人、日本人などは、なんて野蛮な民族だと思っていることでしょう。

自分たちは牛やぶた、ニワトリを平気で食べておきながら、一方では犬を食べるのは野蛮だという、マスコミの矛盾だらけの扇動記事には憤りさえ感じます。

それでは、やたらと感情論を装って、日本の捕鯨に反対している欧米人と同じではないでしょうか。

 

こんなことを書いていますが、私自身は別に犬食に賛成しているわけではないです。これでも一応は愛犬家なので、犬たちが食糧として、たくさん殺されている現状は、とても可哀そうだと思います。

ただ、私も牛やぶたをたくさん食べてきました。

そんな私が、他の国の食習慣を批判する権利はないと思っています。

所詮、どちらも同じ生き物です。どちらの命の方が価値が高い、低いなどはないはずです。

 

今回の「犬肉祭り」の件は、単に犬を食べるという衝撃的な食習慣だけでなく、人間が肉を食べるという行為について、改めて考えさせられたニュースでした。